我が子が虫を踏んづけて遊んでる…その時どうする?どう考える?

我が子が虫を踏んづけて遊んでる

アリを踏んづけて、潰れていくのを楽しむ我が子。命の大切さを伝えたいと思う親としては、「ダメ!」と言って叱るママパパも多いのでは。

でも、ちょっと考えてみて。自分も子どもの頃、同じようなことをして虫を死なせた体験をしてたよね?



私の場合、ナメクジに塩かけて死にいく姿をじっとみて楽しんでいた体験が鮮明に残っています。

でも、大人になった今は、ちゃんとわかってる。命の大切さや、虫をむやみに死なせていけない、ってこと。

まあ・・・それでも、今だって、蚊やハエを見つけたらパチン!と死なせることを大人だって日常的にしている。

そういう矛盾を抱えながら、子どもに、どう命の大切さを伝えていくか。ちょっと立ち止まって考えてみましょうか。

99%が幼少期に虫を死なす体験をしている

鶴見大学の佐藤英文教授の研究結果によると、学生へのアンケート結果で、226名のうち224名(99.1%)の学生が “子どもの頃にムシとの関わりの 中で殺してしまったり死んでしまったりした体験を持つ” と回答していたそうです。

死なせた生き物は、アリ、ミミズ、ナメクジ、ダンゴムシなどの土壌動物が圧倒的に多く、死なせた理由の主なものは、「楽しかった」、「なんとなく」、「嫌いだから」、「うっかり」、「実験」などがあったという。

回答者数226名のうち、子どもの頃にムシとの関わりの 中で殺してしまったり死んでしまったりした体験を持つ者 は 2 2 4 名 ( 9 9 . 1 % )、 持 た な い 者 は 2 名 ( 0 . 9 % ) で あ り 、 ほ とんどの学生が殺した体験を持っていた。

(出典:鶴見大学紀要

7歳頃が虫を死なせるピーク。小6では10%

調査結果では、4~6歳頃にアリやダンゴムシでなど小さな虫を死なす体験した割合がもっとも多く、6~7歳頃はミミズのピーク。

その後年齢が上がるにつれて、虫を死なす傾向は少なくなっていくものの、12歳頃(小6)でも10%近い学生が虫を死なせてしまった体験を持っているそう。

20%の理由が「楽しいから」

アンケートの調査結果では、虫を死なせる理由に「楽しかったから」 というの回答が、平均で20%程度で一番大きい理由だったそう。他には「なん となく」「うっかり」「嫌い」「放置」「実験」などの回答という結果。

子どもたちをみていると、アリやダンゴムシなどの虫を何ともなく、楽しそうに踏んだりして死なせていることがありますよね。

命を奪うことを「楽しい」とは、どういうことでしょうね。でも、これが、誰もが持つ、子どもの本来の姿、本能的なことだと、認めないわけにはいかないようですね。

今回の調査結果からも、子どもにとって「死なす」ことが「楽しい」と感じている事実が明らかになったということです。

幼少期に必要不可欠な本能的な要素

その背景、理由として一つ考えられているのが、「ヒトの狩猟本能的な要素 」があげられています。

子どもが死と出会う場面を5つに分類し、その中の一つとして「殺すことを楽しむ(ハンティング、いたぶる、動物虐待)をあげている。これらの行為の背景にヒトの狩猟本能的な要素などの意味が潜んでいると考えられる
(出典:鶴見大学紀要

我々人間というのは、生まれ落ちた時から攻撃性というのを持っている。そもそも我々の祖先というのは何千年何万年にわたって、縄文時代のように狩りをして食べてきたわけですね。ですから、幼児期は虫を殺したり、魚を釣ったり、きれいな花を折ったり、蟻を殺すようなことがあるんですね。あれはそのうち直るんです。それが自然体験なんですね。それが経験のないまま無駄だと切り捨てられてきた。これは大きいですね。
私は文部省で平成6年から10年まで「児童生徒の問題行動等に関する調査研究協力者会議」の委員と中教審の専門委員でしたが、心の教育ということで提案したんです。次のことを話したんです。
非行の事例から見て「いい子」たちのほとんどが遊びや自然体験、そういう小さい時の攻撃性を発揮できる体験がないまま、中学生、思春期になってきていると。これは発達的にも今の世代の子どもの抱えている教育問題だと。そんなことを喋ったわけです。
(出典:家庭裁判所調査官・佐々木光郎さん

親だって子どもの頃は虫をふんずけて遊んでいた

大人から見ると、可愛い幼い子どもが、自分よりも弱い立場の生き物を死なせる、という行為は、見るに耐えなく、とても残酷で、ちょっとびっくりしてしまうことも多いかもしれません。

けれど、このアンケート結果にもあるように、自分の幼少期を思い出してみたら、確かに・・・アリ踏んずけて楽しんでいました・・・ナメクジに塩かけて死んでいく姿を楽しんでみていました・・・蝶々の羽をむしって遊んでいました・・・etc。

これを書くだけでもゾッとしてしまいますが、確かに自分も幼少期はやっていました。

今はとんでもないですが、おそらくほぼ皆さん、子どもの頃に同じような体験されていますよね?

でも、皆成長段階で、それが悪いことだと気付き、いつの間にかしなくなります。大人になった今は、ゾッとするほどそれが残酷なことだったと認識しています。

きっと、そこには理由があり、成長過程があり、子どもにとっては必要なこと、であったりする何かがあるはずなのです。

その背景や理由がわかっていれば、自分の子どもが同じように虫を潰して死なせていても、親としての対応や姿勢が見えてくるのかもしれません。

命の大切さは「死」をもって認識できる

命の大切さを教える」とはよく聞きますけど、もし子どもの実体験がなかったら、言葉だけでどうやって教えられるのでしょうか。「命」や「死」のこと。大人の「言葉」だけで、どうやって・・・。

目の前で動いていた生き物が、死んでいく過程を見て、初めて「死」というのもを目の当たりにして、「死」を理解する事が出来るとも言います。

そうやって、「死」がどういう事かを理解するのは、小学校低学年頃からということも言われています。

「死」を身近に体験していないよりも、幼少期から虫などの死を目の当たりに体験したことで、その後、本当に意味での「生」の大切さを理解できる時が来るのかもしれません。

虫に触っているうちに死なせてしまう。または、子どもが虫に対して残酷なことをしたり、わざと殺したりということもあると思います。「死」というものを理解するのは、小学2~3年生くらいでしょうか。お子さまが虫を殺してしまった場面を見ると、残酷だからと注意したり、命を大切にと諭したりすると思いますが、小さな子どもにはそれを受け入れる土台ができていないのです。結果的に死なせてしまっても、小さいころに虫や動物などの自然に触れてこそ、大人になってから自然に思いをめぐらし、自然を大切にするのでしょう。
(出典:ベネッセ教育情報サイト

「生命のすばらしさは、見るだけではなく、捕って触って、飼ってみてはじめてわかるものです。生命を大切にする態度は、大切に飼っていた生物の死によって培われてくるものです。生物を採(捕)って食べることも大切なことです。おもしろ半分に動 物を捕まえて殺生するといった行為はつつしまなくてはなりませんが、原体験としては多少は目をつむりたいものです。」

(出典:鶴見大学紀要

子どもの頃にムシ殺しをすることを通じて「平 和とはどういうことか、殺すことはどういうことか、など を実感することができる。それを通じて経験的に学ぶこと が必要なのである。」
(出典:鶴見大学紀要

私は信じます。
子供達が昆虫や小さな動物を殺すのはほとんどが知的好奇心からくるものだと。
その好奇心が成長と共に失われていく子もいれば、そのまま好奇心を持ち続ける子もいて、最終的には生き物を大事にする人間に育つ子がたくさんいると。
(出典:風の動物病院のブログ)

環境問題や生態系への関心、研究心を育む

大人になって獣医になっていたり、生態系の研究者になっている人の幼少期は、生き物を多く死なせてそれを解剖する、という体験を多く持っている事がが多いそうです。

子供のころは病理写真なんて組織、細胞を専用の染色液で染色しないとわからないはずなのに、そんな知識も無く、解剖して死んだ魚の死因を探ろうと解剖してました。
いや、飼っていた熱帯魚だけじゃなく、釣ったフナや鯉なんかの魚はもちろんのこと、捕まえた昆虫やザリガニ、カエル、ヘビやトカゲなんかも解剖してました。
昆虫の羽(通常は片方2枚、計四枚)をむしり取り、何枚まで減らせば飛べなくなるのかなんてこともやってきました。
(出典:風の動物病院のブログ)

将来、環境問題や生態系における生物の役割などについて関心を持ち研究していくといったような、科学者としての資質を育むうえで極めて重要な意味をもつのではないだろうか
(出典:鶴見大学紀要

「小学生時代には小動物解剖」と不安を煽るメディア

よく凶悪犯罪が起こると、「小学生時代には小動物解剖」などと、幼少期から虫を死なせて解剖するのが好きだったような報道などがされていたりします。そういう報道がされていると、少なからず、我が子の虫を死なせる行為と重なって、不安になったり恐怖心を煽られてしまっている親も少なくないのではと思います。

けれど、考えてみれば、99%がそうだったのです。報道に煽られてはならない、と沖縄県豊見城市の動物病院の獣医師は以下のように警告しています。

事件が起る度にほじくり出される過去。
何でもかんでも事件にこじつけようとする報道。
そんなものに振り回されず、きちんとお子さんを見守ってあげて下さい。
お子さんのいない方も、子供の頃に生き物を殺して遊んでいたからといってその人が猟奇的な精神状態を持った人間だとは思わないで欲しい。
そんな煽り方をする報道をしないで欲しい。
子供は間違った事、正しい事、色々な経験を積む事で成長してきます。
立派とはいいませんし、実際に立派でもなんでもないですが、そうやって色々な生き物を殺して来た私は皮肉にも生物学を専攻し(もちろん生き物を殺し、解剖や実験を行なってきました)、海の生き物を撮影し、獣医学を専攻し(もちろん動物を解剖し、実験し、外科実習などを行なってきました)、獣医師として生きています。
それは子供の頃の経験が活かされていると自信を持って言えます。
(出典:風の動物病院のブログ)

叱るのではなく、見守り、そして、少しづつ「自分で」気づいていく

目の前で、子どもが楽しみながら虫を死なせて遊んでいたら、1人の人間として、なんとなくでも「かわいそう」だな、と感じるのは自然な感情ですよね。

でも、子どもだって、好奇心で虫を死なす体験は、成長段階で必要不可欠ということもなんとなくわかった。

そんな時、親はどうしたらいいのでしょうか。

これが絶対正解、というのはないのかもしれません。ただ、「ダメ!」と叱りつけ、子どもの本能的な好奇心を途中でやめさせてしまうことは、「死」という結果を見ずににして、ただ「踏んでみたい、死なせてみたい」という本能欲求を途中で止めてしまうことにもなります。

「かわいそう」という罪悪感は、その目の前の「死」を持って、抱く初めての感情です。その罪悪感に少しづつ気づいていく成長段階が必要とも言えます。

親としては、なるべくなら見守り、そして、本人が自らそう気付くような「声かけ」などはしてあげるのもいいのかもしれませんね。

「死んじゃったねえ…」「死んじゃってかわいそうだったかな?」とか?

頭ごなしに「ダメ!」「かわいそうじゃない!」と怒るのはちょっと、自分の子ども時代を振り返ってからにしてもいいかなと思ってしまいます。

皆さんはどう考えますか?

考える参考になりそうなブログをご紹介